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ほっぺるだより

Letter

ほっぺるランド 新島橋かちどき

聞こえてくるメロディー(運動会)

ほっぺるランド新島橋かちどき

主任 藤得

 

9月16日に新島橋かちどき2回目の

運動会がありました。

子ども、保育者、それぞれが日々の中で

準備を積み重ね、

体育館で華ひらく。

保育者はもちろんですが、

保護者の皆様もきっとホッと胸を

撫でおろしたのではないかと思います。

 

<耳に聞こえないメロディー>

詩人ジョン・キーツの詩にこんなものがあります。

「耳に聞こえるメロディーは美しい。

しかし、聞こえないメロディーは

もっと美しい」

1795年~1821年の詩人。

この当時、何を見て、感じて、この詩を残したのか、

とても気になります。

 

今年の運動会、去年より成長した姿を

子どもたちは

見せてくれました。

それはなにも、お遊戯や競技が

上手になったという

ことだけではありません。

それよりもなによりも、

去年は泣いてしまっていた子どもが、

今年は泣かずに、或いは泣きやむ

時間が早くなったということ。

 

赤ちゃんは泣くことで自分の気持ちを伝える。

そして「言葉」というものを手にした時から、

次第に言葉という「器」を相手に手渡し、

自分の気持ちを伝えられるようになる。

でも、きっと、人の本当の気持ちや

想いというのは、

常に言葉の中にある。

 

 

<その子「だから」見せてくれるもの>

新島橋かちどき園の運動会は2~5歳が参加。

それぞれのクラスは、保育者が考えた

お遊戯を披露したり、

運動会恒例のかけっこをしたり、大賑わい。

どの子も「その子らしさ」を

感じさせる姿を見せてくれます。

4,5歳クラスは椅子組体操を。

 

5歳はパラバルーンとソーラン節を。

 

 

同じことをしているけれど、見せる姿は百人百様。

でも一つだけ共通しているものがあることに、

親子競技を見ていて気づきました。

それは、親が子を見る眼差しの暖かさと優しさです。

(クサイ言葉を平然と言うなよって?あは!)

その眼差しの在り方も、

きっと百人百様なのでしょうね。

 

 

<それぞれの楽しみかた>

笑顔で競技やお遊戯を楽しむ子、

親から離れ大観衆の前で何かをすることに

緊張し泣いてしまう子、

泣きそうになる気持ちをグッとこらえ参加する子、

泣いてしまう子、

この子たちの中にいったいどんなメロディーが

流れているのだろうか・・・と感じました。

 

どんなに泣いていても、最終的には

笑顔で楽しむ子どもたち。

保護者の皆様も、きっとドキドキされながら

わが子の姿を追っていたのではないかと思います。

気持ちの中にある「大丈夫かな・・・」という

ある種の不安を、子どもの笑顔や楽しそうに

競技・お遊戯に参加する姿が取り払ってくれる。

それはまるで、曇り空が強い風で押し流され

開けるように太陽が見えてくるような

感じなのではないでしょうか。

きっと、その時に湧きおこる安心感は

何ものにも代えがたい「楽しさ」をくれる。

 

保育者目線で、子どもが逞しく取り組む姿を見たとき

そんなことを感じます。

子ども、親、保育者、

それぞれが、それぞれの

想いを胸に楽しむ。

それが運動会なのではないかな、と。

色々な思いが行き交う場、時間。

 

目や耳に入るメロディーは賑やかで楽しい。

入ってくるものの中に流れるメロディーは、

美しい想いに溢れている。

それぞれの表情を見ていると、

そんな気がしてならない

運動会という日でした。

 

<聞こえないメロディー>

無言。

「・・・・」にこめられた想い。

 

目から零れる涙。

「涙」にこめられた想い。

 

保育園にいない、空白の時間。

空白の時間を戦い続けたから生まれる想い。

 

ねえ、目から零れるその涙は、

勇気を奮い立たせたことの証だ。

勇気を奮い立たせ、自分の気持ちと語り合い、

周りと自分を比較してしまい、

そこから見えてくる容赦ない現実と向き合い、

それでもなお前を向き続けた

戦士だから零れる涙なのだ。

 

それを一粒流すたび、

優しさと強さが心砂の中から湧いてくる。

「耳に聞こえるメロディーは美しい。

しかし、聞こえないメロディーはもっと美しい」

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